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多電子励起分子のダイナミックス

小田切 丈(物質生命理工学科・准教授)

2014年
出典: ソフィアサイテック vol,25

小田切 丈(物質生命理工学科・准教授)


 私たちの研究室では、原子分子物理学に関する実験研究を行っています。特に分子の高い励起状態“多電子励起状態”のダイナミックスに興味を持ち研究を行っています。

 原子核と電子という質量の大きく異なる粒子同士がクーロン相互作用により結びつき、有限空間内で運動している、というのが分子という系です。このミクロの粒子系を量子力学的に記述するには、波動関数のボルン・オッペンハイマー分離と平均場近似という2 つの常套手段が用いられてきました。前者により遅い核運動と速い電子運動とを分離し、後者により複数電子の運動を平均場中の一電子問題に帰着させます。これらの近似が妥当であることは、長い間培われた分子分光学の膨大な知識が物語っています。ところが、私たちが注目する2つ以上の電子が励起した分子共鳴状態では、これら常套手段が2 つとも破綻してしまいます。複数の電子が原子核から遠く離れて運動するとき、それらは核近傍を運動するときよりも相互の位置を意識しながら運動します。間の説明は省略しますが、このため上記2 つの近似が成り立たなくなり、結果として、原子核の運動を律するポテンシャルは、「非局所な複素ポテンシャル」となります。ポテンシャルという概念は、それを導入することによって化学反応に対する理解を格段に容易にしますが、このような特異なポテンシャルに対する経験を私たちはまだそれほどもっていません。最も簡単な分子である水素分子ですら、その2 電子励起状態のダイナミックスはまだよく理解されていないのが現状です。しかし一方では、このような状態が関与する反応はそれほど珍しくなく、放射線科学、プラズマ、上層大気、星間雲など、いろんなところに転がっています。私たちは、水素分子というクーロン4 体系をしばしば研究対象とし、実験室や、ときには高エネルギー加速器研究機構の放射光科学研究施設“フォトンファクトリー”などで、様々な反応の断面積測定などを行っています。

 この水素分子2 電子励起状態は解離して2個の水素原子を生成することがあります。私たちの最近の研究から、これら2 つの水素原子が量子もつれ状態にある原子対である可能性があることがわかってきました。解離して遠く離れた水素原子同士がある情報を共有しているというのがこの場合の量子もつれです。水素原子のような質量ある粒子が量子もつれ状態にあることが実証されることは、量子情報分野にとって大きな事のようです。そこに至るにはまだまだ課題も多いのですが、少しずつ進めています。

 他の多くの分野でも同じと思いますが、実験装置を設計して自作するところから私たちの研究が始まります。実験物理学は特にその傾向が強いと思います。自分で図面を引いた装置により様々なビームを作り出し、原子分子に衝突させ、生成する荷電粒子、中性原子、光子などをやはり自作の検出系により検出します。それらは真空チェンバーの中で行われていることで、目には見えませんが、計画通りに粒子の信号を引き出し、新しい現象を見ることができたときには非常に大きな喜びを感じます。その瞬間を味わうために研究を続けていると言っても過言ではありません。まだ研究室を立ち上げたばかりですが、学生とともに上智大での第1号装置を鋭意製作中です。

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